競技専念型アスリート雇用の植木隆人選手インタビュー

植木隆人選手

車いすバスケットボール2019年男子強化指定選手の経験をもち、独立リーグ・千葉ホークスで活躍する植木隆人選手。2019年8月、競技専念型アスリート雇用にて、IMAGICA Lab.に入社した。2020年、東京で行われるパラリンピック出場をめざす植木。入社と夢にかけるその想いを聞いた。

——車椅子バスケットボールとの出会いを教えてください

当時入院していた病院に外来で来ていたお兄さんたちと知り合いになり、「車いすバスケットボールをやってみないか」と言われたんです。障害者のスポーツということで、どんなものだろうと思って覗いてみたのですが、体格はでかいし、ゲームの当たりは強い。これはとんでもないものに出会ってしまったな、と思いました。何よりも頭を使うスポーツだったのが、惹かれたところですね。
 ただ、いざはじめてみると、走るばっかりで、きついし、つまらないと思ってしまったのですが、考えが変わった瞬間がありました。車いすバスケは、障害の軽い人から重い人までがいて、僕はやや重いくらいの選手になります。そんな僕より障害が重い選手に後ろから突かれて「おせーよ!」とか言われるわけです。何だこのやろう、と悔しくて、この選手よりうまくなってやろうと思ったんです。その瞬間、目標ができました。その選手に勝ったら、次はあの先輩。その先輩を抜いたら、あの選手。まず、その人より速く走りたい。その人より動きがよくなりたい。そういう目標が常に目の前にあったから続けられたんだと思いますね。
勝利の喜びを知ったのは、そのあとです。自分のテクニックを磨いてきて、でも、自分のテクニックだけじゃだめだ、バスケは5人でやるものだ、と気づく時がきます。5人でどうやったら勝てるのか、俺たちは何をしたらいいのか、とみんなで話し合って練習するようになる。その成果が出て、勝ったときにみんなで喜べるというところが、車いすバスケの醍醐味なんだと思いました。

——日常の練習はどのような感じで行われていますか

所属する千葉ホークスのチームとしての練習は、週3回です。それ以外は、僕と同じアスリート雇用でやっている方もいらっしゃいますので、そういう方を何人か誘って、体育館でトレーニングしています。日本代表の強化指定選手にもなっているので、そちらの練習にも参加します。自分の課題に取り組みたいときは、個人で練習することが多いですね。

——日本一を決める今年の天皇杯では、千葉ホークスは惜しくも敗退しました。千葉ホークスでの次の目標はどのようなものですか

去年も負けて悔しい思いをしましたが、今年は本当にすべてを失った感じがしました。僕が入る前まで、千葉ホークスは天皇杯3連覇をしていたのですが、僕が加入してから日本一になれていない。ずっと応援してくれるサポーターの方もたくさんいらっしゃるので、優勝したい気持ちは強いです。自分が経験したことがないから、そこを超えた瞬間、自分も成長したと思えるはず。目標はやはり、天皇杯を獲って千葉ホークスが日本一になること。いま、メンバーがそこに向かってひとつになっていっている感じはしています。

——アメリカでの車いすバスケットボールのリーグにも個人で参加されている。そこで見たものはどんなものでしたか

車いすバスケがアメリカでどのように運営されているかといいますと、NBAのチームの傘下チームとして存在しています。環境はとてもいいです。いま、2019年度日本代表指定強化選手として活動はさせていただいているんですが、2017年までずっと強化指定選手だったのに、2018年に選考から漏れた。そこから日本代表に戻りたいという強い思いがありまして、これはもっと成長しないといけない、何か違うことをしないと変われないと思ったんですね。それでアメリカ行きを決意しました。
選手の体がでかいとかすごいとかは当たり前なんですが、僕が一番感じたのは、選手がそれぞれ自立しているところですね。日本だと、うまい選手がひとりで引っぱって、リーダーシップを発揮して指示することが多いんです。でもアメリカではお互いが主張しあい、その上でお互いが理解し合おうとする。そういったいいところは日本でも取り入れたいと思ってやっています。人を触発させる術は学んできたつもりなので、そういう部分ではひとつひとつ実現できてきているかなと思います。

植木隆人選手

——そして、来年の2020年にはパラリンピックが東京で行われますね

東京で行われるということで注目度も増してくると思うので、かなり大きな出来事になりますね。すごく盛り上がると思います。
2014年の仁川アジアパラ競技大会に日本代表として参加したのですが、クラブチームで戦うのと、日本代表で戦うのは明らかに違う。それは何かというと、日の丸を背負うということ。支えてくれた感謝と支援してくれた人の想いのすべてを背負って戦うわけなので、正直、プロセスだとかいっている場合じゃなくて、勝ちしか残っていない。そんな中、決勝戦まで行って韓国に負けてしまった。その事実を受け止めて、日本へ帰るのがつらかったのを覚えています。
その悔しさを胸に、来年の東京パラリンピックで私が代表に選出された暁には、絶対に勝ちたいです。

——今回、競技専念型アスリート雇用でIMAGICA Lab.へ入社されました

面接のとき、僕のような人たちを応援すると、前向きな感じで話していただいたので、「本当に応援してくれているんだな」と感じました。みんなが応援してくれるというのが、僕の力になりますね。応援されている、サポートしてもらっている、ということは自分にも自覚と責任が生まれるので、練習をしていても、ぴりっとした雰囲気が流れます。いい緊張感がありますね。これからは、応援にこたえて、IMAGICA Lab.の一員として、結果を出さなければといけないと思っています。

——車いすバスケットボールにおけることも含め、これからやっていきたいことは何ですか

まずは東京パラリンピックに選手として出場し、結果を残すこと。そのあとはまだ浮かんでいません。漠然とあるのは、このままバスケを続けていくのか、それともバスケ以外のことをするのか。次は個人競技をやってみたいという想いがあるんです。集団でのつらさや、集団でどういうふうに自分がいないといけないのか、少し見えてきたので、次は個人で何が見えるかを知りたいなあと。もし、車いすバスケットボールをやめたらいろいろなスポーツを一度体験してみて、これだというものを見つけたいですね。冬ならクロスカントリー、夏ならカヌーとか面白そうだと思っています。現役にこだわっていきたいです。プレーヤーで一生いきたいですね。でも、やはりバスケは一生続けていくのかなあと思っています。選手を引退しても、個人の楽しみとしては死ぬまで続けていると思います。それくらい車いすバスケットボールが好きなんです。

植木隆人選手

IMAGICA Lab.の理念には「人でつなぐ 人がつなぐ」のフレーズがある。こうした競技専念型アスリート雇用を通して、IMAGICA Lab.はアスリートの人たちがより働きやすく自立しやすい環境をつくってまいります。 未来の映像コミュニケーションカンパニーを目指して。